大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和57年(特わ)857号 判決 1983年1月27日

本籍

東京都世田谷区祖師谷一丁目一一七番地一七

住居

東京都世田谷区成城六丁目三〇番一〇号

歯科医師

武藤瞭

昭和一〇年二月六日生

本籍

東京都世田谷区祖師谷一丁目一一七番地一七

住居

東京都世田谷区成城六丁目三〇番一〇号

無職

武藤澄江

昭和一五年五月九日生

右の者らに対する各所得税法違反被告事件について、当裁判所は、検察官江川功出席のうえ審理し、次のとおり判決する。

主文

被告人武藤瞭を懲役一年及び罰金一八〇〇万円に、被告人武藤澄江を懲役一年に、それぞれ処する。

被告人武藤瞭において右罰金を完納することができないときは、金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から、被告人武藤瞭に対し三年間その懲役刑の執行を、被告人武藤澄江に対し三年間その刑の執行を、それぞれ猶予する。

訴訟費用は被告人両名の連帯負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人武藤瞭は、東京都千代田区有楽町一丁目七番一号電気ビル地下一階ほか三か所において、「武藤歯科有楽町診療室」等の名称で歯科医業を営んでいるもの、被告人武藤澄江は、被告人武藤瞭の妻であって同人の歯科医業に係る経理全般を掌理していたものであるが、被告人両名は、共謀のうえ、被告人武藤瞭の所得税を免れようと企て、自由診療収入を除外する等の方法により所得を秘匿したうえ、

第一  昭和五三年分の実際総所得金額が八二六五万八四二四円(別紙(一)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五四年三月一三日、東京都世田谷区若林四丁目二二番一四号所在の所轄世田谷税務署において、同税務署長に対し、同五三年分の総所得金額が三〇七九万七九〇一円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額を控除すると七三五万四九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(昭和五七年押第八五四号の1)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額四一五三万六七〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額三四一八万一八〇〇円を免れ、

第二  昭和五四年分の実際総所得金額が八〇八〇万六一五一円(別紙(二)修正損益計算書参照)あったのにかかわらず、同五五年三月一一日、前記世田谷税務署において、同税務署長に対し、同五四年分の総所得金額が三四四五万六八五八円でこれに対する所得税額が源泉徴収税額を控除すると九四五万二五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の2)を提出し、もって不正の行為により同年分の正規の所得税額四〇〇五万六八〇〇円(別紙(三)税額計算書参照)と右申告税額との差額三〇六〇万四三〇〇円を免れ

たものである。

(証拠の標目)

一  被告人の両名の当公判廷における各供述

一  被告人武藤瞭の検察官に対する各供述調書

一  被告人武藤澄江の検察官に対する昭和五七年三月四日付供述調書

一  被告人武藤澄江の検察官に対する同年二月二六日付及び同年三月五日付供述調書(被告人武藤澄江の関係で)

一  収税官史の被告人武藤瞭に対する各質問てん末書(被告人武藤瞭の関係で)

一  被告人武藤瞭作成の昭和五六年六月一八日付及び同年七月二七日付申述書(被告人武藤瞭の関係で)

一  収税官史の被告人武藤澄江に対する各質問てん末書(被告人武藤澄江の関係で)

一  被告人武藤澄江作成の申述書(被告人武藤澄江の関係で)

一  証人宮澤幸助、同神保久男及び同真船洋一郎の当公判廷における各供述

一  収税官吏の飯島攻、武藤昌文、阿部真也、山下博三、久保田晴美、黒木敏子、松原陵子、武藤猛、小牧総江子、遠藤和夫、吉田千鶴子、永井多実子、青山幸子、加茂恵子に対する各質問てん末書

一  収税官吏作成の生命保険料控除、収入金額、たな卸金額、仕入、損害保険料控除、祖税公課、水道光熱費、旅費交通費、通信費、広告宣伝費、接待交際費、損害保険料、修繕費、消耗品費、減価償却費、福利厚生費、給料賃金、利子割引料、地代家賃、諸会費、衛生管理費、研究費、新聞図書費、法定福利費、機械リース料、雑費、青色申告控除、退職給与、経費総括、窓口払経費、院長払経費(その1及びその2)、借入金、生活費、事業主勘定に関する各調査書

一  原澤正浩作成の「健康保険料納入の納付状況照会に対する回答」と題する書面

一  世田谷税務署作成の証明書及び捜査関係事項照会に対する回答書

一  国税査察官作成の査察官報告書

一  押収してある昭和五〇ないし五四年分所得税確定申告書五袋(昭和五七年押第七五四号の1、2、6、7及び9)、昭和五三年及び同五四年分所得税青色申告書二袋(前同号の3及4)、経費等支払帳一冊(前同号の11)、窓口収入帳二冊(前同号の12及び13)、経費支払帳一冊(前同号の14)、日計表三綴(前同号の24ないし26)、<秘>と題した封筒入りのメモ一袋(前同号27)、所得税確定申告書控等一袋(前同号の28)、資金計画メモ等一袋(前同号の29)及び「Bank貸借表」と記載したメモ一枚(前同号の30)

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は、本件各犯行につき、被告人武藤瞭(以下「被告人瞭」という。)は、その実行行為者たる被告人武藤澄江(以下「被告人澄江」という。)と共謀したことはなく、本件各犯行は、被告人澄江が被告人瞭に無断で勝手に実行したものであるから、被告人瞭は無罪であると主張する。

しかし、前掲各証拠によれば、被告人らの共謀の点を含め、判示の罪となるべき事実は優に肯認することができるのであって、これに添う被告人らの検察官に対する前示各供述調書等も信用できるのであり、他方、被告人らの当公判廷における供述中、右認定に反する部分は信用することができない。以下、その理由について説明を補足する。

一  まず、前掲各証拠によれば、次の事実が認められる。

1  被告人瞭は、昭和三八年三月に日本歯科大学を卒業し、同年五月に歯科医師の国家試験に合格した後、一時東京都内虎ノ門にある永田歯科医院等に勤務していたが、昭和四一年八月に東京都世田谷区豪徳寺に武藤歯科医院を開設し(昭和五一年四月に同区宮坂に移転。)、その後、昭和四二年一一月に同区祖師谷に武藤歯科祖師谷医院を、昭和四七年三月に都下青梅市に武藤歯科東青梅医院を、更に、昭和五一年三月に都内千代田区有楽町の電気ビル内に武藤歯科有楽町診療室を順次開設し、勤務歯科医師、歯科衛生士、助手等を雇傭し、右四医院の院長として、各医院の業務を統括するとともに、自らも歯科医師として診療行為にあたっていた。

2  被告人澄江は、昭和三八年に前記永田歯科に助手として勤務したことから被告人瞭と知り合い、被告人瞭には妻子があったものの、昭和四一年春ころから同被告人と同棲を始め、同四四年五月被告人瞭と先妻との離婚がなされた直後、婚姻の届出をし、同被告人との間に三子を儲けて今日に至っている。

3  被告人瞭の各医院における診療収入は、保険診療収入及び自由診療収入からなり、保険診療収入のうちの初診料及び患者本人負担分並びに自由診療収入は、いわゆる窓口収入として、各医院の窓口で受け取られるものであり、右窓口収入は、各医院においてノート等に記帳されたうえ、翌日か翌々日に、各医院の事務員等によって所定の銀行口座に振込入金されていたが、このほか、右窓口収入の一部が各医院における小口現金の支払いにあてられたり、院長渡しと称して被告人瞭に手渡されることもあった。

4  被告人方医院では、右窓口収入に関し、昭和四八年ころから、被告人澄江の実弟飯島攻をして各医院ごとの日計表(昭和五七年押第八五四号の24ないし26)を作成させており、右日計表には、各診療所よりの報告に基づき、一日の患者数、受け取った窓口収入の額、支出した金額等が記載され、更に、診療所によって若干の遅れはあるものの、昭和五三年六月ころからは、右のほかに、右窓口収入のうちの領収証を発行した金額をも併せて記載されるようになり、また、右飯島に差支えの場合は、被告人らにおいて自ら記載することもあった。

5  ところで、被告人澄江は、被告人瞭の医院開設以来、同被告人歯科医業に係る経理全般を担当し、帳簿の作成や所得税の確定申告事務を取り扱ってきたが、被告人瞭の関与は別として、被告人瞭の所得につき、昭和四八年ころから、収入を過少に記載した虚偽の所得税確定申告書(前同号の6、7及び9)を提出するようになり、例えば、同被告人の手でなされた昭和五〇年分の確定申告は赤字申告であった。

6  所轄世田谷税務署は、昭和五一年一一月から翌昭和五二年三月ころまでの間、被告人瞭の昭和四八年分から同五〇年分までの所得確定申告について税務調査を実施し、自由診療収入の一部につき欠落のあることを突き止めた。これを知らされた被告人瞭は、その調査に伴う修正申告や以後の確定申告事務などを税理士の宮澤幸助に委嘱し、同税理士において昭和五一年分以降につき青色申告の承認を受けて右事務に関与するようになったが、その確定申告事務は、被告人澄江の手許で整理・作成されて届けられる伝票や帳簿に基づくものであった。しかも、前示の日計表が、前記調査では露見に至らず、その後も宮澤税理士に届けられなかったこともあって、昭和五一年分以降も過少の申告が続き、昭和五一年分の申告は、総所得金額九一八万六一三一円、源泉徴収税額を控除すると納付すべき所得税額はないばかりか、差引きすると五一万五二四二円の過納になる旨の申告、更に、昭和五二年分の申告は、総所得金額が一五八〇万一七二一円、税額が九七万五九〇〇円というものであった。

7  被告人澄江は、本件昭和五三年分の所得税確定申告にあたって虚偽過少の申告をなすべく、昭和五四年二月ころから約一か月間にわたり肩書自宅の和室でその準備作業を行い、領収証等を整理するとともに、前記日計表に記載された支出額に、手許にある領収証等による支出額を加え、これに従業員に対する給料、水道光熱費等を加算し、更に、銀行借入れに対する支払元利金や家族の生活費等も加えて総支出額を算出し、これに手持現金、預金等を加えた後、この合計額に見合う金額を収入額とすべく、前記日計表を参照しつつ、発行した領収証の金額合計を下回らないように考慮して、新たに虚偽過少の収入を記載した帳簿一冊(窓口収入帳、前同号の12)のほか、概ね正確な支出を記載した帳簿一冊(経費支払帳、前同号の11)等を作成し、同年三月上旬ころ、これらを宮澤税理士に手渡し、同人をして所要の計算をさせたところ、同税理士から、源泉徴収税額控除後の所得税額が約一五〇〇万円となる旨の連絡を受けたため、同税理士に対し、右所得税額を七〇〇万円位に押えて欲しい旨依頼し、よって、同税理士をして、同月一三日、判示のとおり、総所得金額が三〇七九万七九〇一円でこれに対する源泉徴収税額控除後の所得税額が七三五万四九〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の1)を提出させた。

8  更に、被告人澄江は、本件昭和五四年分の所得税確定申告についても、昭和五五年二月ころから約一か月間、肩書自宅の和室で準備作業を行い、領収証等を整理するとともに、前同様の方法により、虚偽過少の収入を記載した帳簿一冊(窓口収入帳、前同号の13)のほか、概ね正確な支出を記載した帳簿一冊(経費支払帳、前同号の14)等を新たに作成し、これらを宮澤税理士に手渡し、同人をして、昭和五五年三月一一日、判示のとおり、総所得金額が三四四五万六八五八円でこれに対する源泉徴収税額控除後の所得税額が九四五万二五〇〇円である旨の虚偽の所得税確定申告書(前同号の2)を提出させた。

9  ところで、被告人瞭は、診療所開設の準備資金を主として金融機関からの借入れによって賄ってきたほか、昭和四九年ころに購入した都内世田谷区千歳台の自宅の代金も、手持金約六〇〇万円のほかに一五〇〇万円を借り入れて支払いに充てていた。更に、被告人瞭は、昭和五三年にはいって、右の自宅を保有したまま、同区成城の現在の自宅を新築して、これに転居することにし、その土地購入・家屋新築の代金、土地購入手数料、設計料、塀工事、庭工事、登記料、上棟式、家具、租税公課として、昭和五三年中に合計一億四二九九万九八〇〇円、同五四年中に合計三九七四万〇七六〇円、以上総計して一億八二七四万〇五六〇円を支払ったのであるが、その支払い等に充てるため、同五三年六月昭和信用金庫経堂支店から三〇〇〇万円を、同年八月富士銀行祖師谷支店から一億円を、翌五四年一月には同支店から三三〇〇万円をそれぞれ借り受け、更に使途が右の代金といえるか問題を残すものの、同年八月には東京中央信用組合から五〇〇万円を借り入れていて、この合計だけでも一億六八〇〇万円となった。このようにして、被告人瞭の借入金残高は、昭和五二年末で九二一二万九七四七円、同五三年末で二億〇三九九万五四一五円、同五四年末で二億三一三五万四七〇四円に達し、返済を必要とする元利合計額も甚だ高額で、前記成城の自宅分だけで、同五三年中に五三九万八〇三四円、同五四年中に二八一四万三四九一円となり、これに従前の借入れに対する元利支払いを加えると、一か月に合計約四五〇万円の支払いが必要であった。このほか、被告人瞭においては、当時、先妻との間の子に対する仕送りとして年額五、六十万円、実父に対する仕送りとして年額一三〇万円位、生活費として月額約三五万円、親類への小遣いとして昭和五三年に年額五〇〇万円余、同五四年に同じく三〇〇万円余、その他宗教関係、家族会食費、身の回り品購入・交際費などに多額の支出をしていた。

以上の事実が認められ、これらは、被告人らにおいても特に争わないところである。

二  ところで、被告人瞭は、当公判廷において、自らは診療行為に専念していて、自己の所得ひいては納税額について認識がなく、まして、前示のような一連の過少申告や被告人澄江が確定申告につき不正を行なっているなどとは思いもつかなった旨弁解している。しかし、前記一で認定した事実関係だけからみても、このような弁解が直ちに納得のいくものでないことは明らかであって、前記日計表を見れば収支の内容は十分に知り得たはずであり、被告人瞭において、少なくとも、概括的にしろ総所得額や被告人澄江の不正を知っていたとする疑いは濃厚である。

それだけでなく、昭和四八年から五〇年分の確定申告につき自由診療収入分の一部に欠落があって過少申告になっていること位は被告人瞭も知らされていたことや、また、昭和五三、四年分の確定申告内容中、少なくとも税額につき被告人澄江から報告されていたことなどについては、被告人瞭も当公判廷で否定し切っていないところといえる。そもそも、昭和五三、四年分の診療収入については、被告人瞭も当公判廷で当時からその額を知っていたと供述しているのである。また、被告人らの当公判廷における供述や以下に引用する証拠によると、被告人瞭は、前記富士銀行祖師谷支店からの借入れに際し、前記日計表を基に自ら昭和五三年一月ないし同年六月二八日までの収入に関するメモ(前同号の27中「武藤歯科医院(保険、自費収入)」と題するもの)を作成したが、このメモには、右期間内における被告人瞭の収入金額が記載されていて、その合計は一億〇三六六万一三八五円になること、また、昭和五四年一月ころには、前同様のメモ(前同号の28中のメモ)を作成したが、これにも同じく昭和五三年七月から同年一〇月までの収入金額が記載されていて、その合計は八三五四万四六四〇円となり、同年一一月及び一二月の自由診療収入金額の記載もあるが、その合計は二三八一万八三八五円となること、なお、被告人瞭は、前記収入に関するメモ(前同号の27)を<秘>と表示した封筒に入れて保管していたこと、昭和五三年六月ころには、被告人澄江から医院の経費が当時一か月約千三、四百万円程度である旨を聞いて知っていたことなどが認められる。そのほか、被告人瞭は、前示借入金の返済金額が元利合計して月額四五〇万円位になることや、それ以外の前示支出額についてもおよそのことは当時から知っていたと認められ、特に自らの遊興飲食については、その真偽は別として月額五、六十万円は使っていたと公判廷で供述している。以上のような借入れや支出は、年間の所得額や地方税を含めた納税額を把握していなければ到底実行できない筋合いのものであって、被告人瞭がこれらに多大の関心を寄せていたであろうことは推測に難くなく、特に成城の自宅購入に伴う資金調達がこうした支出に対する被告人瞭の認識を深めたことは疑う余地がない。現に、当時、富士銀行祖師谷支店の貸付担当者であった証人神保久男は、前記貸付けに際し昭和五二年の申告所得金額を前提に被告人瞭と話し合ったと思う旨供述しているのである。

加えて、被告人瞭も、当公判廷で昭和五三、四年とも、内容は別として前示のように被告人澄江が約一か月間にわたって確定申告に関する準備作業を続けていたこと自体は現認し、その作業につき被告人澄江と会話を交したり口論するなどのやりとりをしたことのあったことを肯定しているのであり、夫婦であってみれば、準備作業の中味を覗いたり、その内容や所得額ひいては税額の見通しに話題が及ぶのは当然の成行きであって、こうした点に話は及ばず、その記載内容が虚偽かどうかは別として帳簿の作成自体も知らなかったとする被告人瞭の弁解は甚だ不自然である。そして、被告人澄江も、当公判廷で帳簿の整備は被告人瞭も分かっていたと思う旨供述し、収入の合計や税額の見通しにつき話をしたことを否定しようとはしない。また、昭和五三年分の確定申告内容につき、被告人澄江と宮澤税理士との間で前示のようなやりとりのあったことについて、被告人瞭が報告を受けていた点も、被告人瞭は、当公判廷でこれを否定しているとはいえないのあり、かえって被告人澄江は肯定的な供述をしているのである。

以上のような事情に加えて、本件所得税がそもそも被告人瞭に関するものであり、被告人澄江はその申告事務の代行者に過ぎないうえ、被告人らは十数年にわたって同一家屋に居住してきた夫婦であって、被告人瞭において、およそ被告人澄江の行っていたことが分からなかったとは到底考えられないこと等の事情を考慮すると、被告人らの検察官に対する前示供述調書をさて置いても、被告人瞭には、本件昭和五三年分及び同五四年分の各申告時期において、被告人澄江が虚偽過少の申告をしようとしているものであることの認識、認容があったものと認めざるを得ない。

三  弁護人は、被告人瞭が昭和五一年に税務調査を受けた際、以後の申告事務等を宮澤税理士に依頼した事実などを指摘し、これをもって被告人瞭に以後の脱税の意思、認識がなかった旨を強調し、被告人瞭もこれに添う弁解をしている。しかしながら、税理士に申告事務等を依頼した一事をもって直ちに以後の脱税の意思、認識がなかったとすることはできず、特に、本件においては、前示のように、申告の基礎となる帳簿等は依然として被告人澄江において整備・作成され、同税理士はこれを計算するだけのものであったうえ、被告人瞭については前示のような諸事情が認められるのであるから、被告人瞭の右弁解は信用できず、弁護人の右主張は採用できないところである。

なお、弁護人は、「(1)大蔵事務官の被告人瞭に対する各質問てん末書(検察官請求証拠番号乙10ないし19)は、取調担当官が、被告人瞭に対し、身柄の拘束とマスコミに対する情報提供の意図をほのめかすことによって同被告人を畏怖させ、かつ、連日にわたり夜間遅くまで取り調ベることによって多数の患者を抱える同被告人を困惑させ、その結果、署名させたものであるから、右各質問てん末書に刑訴法三二二条一項所定の任意性はなく、また、被告人瞭作成の各申述書(前同乙8及び9)も、右のような状況下において取調担当官から強要されるままに作成されたものであるから、同じく任意性がなく、(2)被告人澄江に対する大蔵事務官の各質問てん末書(前同乙21ないし25)は、取調担当官が夜間遅くまで長時間にわたって同被告人を取り調べ、被告人瞭に対する身柄の拘束とマスコミへの情報提供を恐れた被告人澄江をして署名させたものであるから、右各質問てん末書更には被告人澄江作成の申述書(前同乙20)についても任意性はない。また、(3)被告人両名の検察官に対する各供述調書(前同乙1ないし5)は、検察官が、被告人瞭に対する身柄の拘束とマスコミに対する情報提供の意図をほのめかし、かつ、他方で穏便にすませる旨を述べて取調べを行い、被告人らをして検察官に迎合する供述をさせて署名させたものであるから、右各調書も脅迫によってなされた供述で任意性はなく、更に、(4)被告人瞭の検察官に対する各供述調書(前同乙1及び2)及び被告人澄江の検察官に対する昭和五七年三月四日付供述調書(前同乙4)には、刑訴法三二一条一項二号所定の特信性がない」旨主張する。

よって、判断するに、関係証拠によれば、被告人瞭は、昭和五六年二月二〇日に東京国税局収税官吏から第一回目の取調べを受け、同月二六日の取調べにおいて被告人澄江との共謀を認めるに至り(前同乙11)、以来、被告人らは八か月以上にわたって収税官吏の取調べを受け、前示の質問てん末書や申述書等が作成されたこと、翌五七年にはいって、二月一六日の被告人瞭に対するものを皮切りに東京地方検察庁特別捜査部で検察官の取調べが始まり、その直後に担当検察官の交替があって、被告人瞭が二度目の取調べを受けた同月二四日に弁護人が選任されたこと、次いで被告人澄江が同月二五、二六、二七日と連日にわたって取調べを受け、この二六日に前記乙3が作成され、翌三月になって一日に前記乙1、四日に乙4、五日に乙5、そして八日に乙2の各調書が作成されるに至ったことが認められる。また、被告人らの当公判廷における各供述等によれば、国税局における取調段階で、すでに事件が刑事裁判になることが予想されていたものと認められる。

ところで、こうして作成された調書等について、被告人らは当公判廷で弁護人の主張に添うかのような供述をしているのであるが、そのすべてが供述の任意性や特信性を失わしめる事由になるとは思われない。そもそも、被告人らは終始在宅のまま取調べを受けていたのであり、前示の取調経過に照らしても取調開始後比較的早い時期に被告人瞭の加担を是認する供述をしているのである。しかも、かなり早い時期に刑事裁判に発展することが予想されていて、弁護人が選任された後になって検察官に対する自白的供述がなされているのであって、こうした事情のほか、前示各乙号証の供述経過等にかんがみると、被告人らの公判供述中、任意性や特信性を疑わしめるような事由に関する部分は、たやすく信用し難いといわなければならない。したがって、本件において前示任意性を疑わしめるような事由はないというのほかはなく、更に、被告人らの公判供述は、いずれも一貫しない点や不自然かつあいまいで回避的な点が多々見受けられるのであって、前記乙1、乙2及び乙4の各調書につき刑事訴訟法三二一条一項二号所定の特信性が認められることも多言を要しないところである。

弁護人の主張は採用できない。

五  その他、弁護人は、犯意の一部を否定するなどの主張をしているが、これらは主として被告人らの公判供述を前提とするものであって、前示採用の各証拠に照らせば、弁護人主張の点を含め、本件において被告人らの不正ひいては犯意を肯認するに十分であり、被告人らの公判供述中、この認定に反する部分は信用できないのであるから、弁護人の主張は採用できない。

(法令の適用)

被告人両名の判示各行為は、いずれも、行為時においては、刑法六〇条(被告人澄江については更に同法六五条一項)、昭和五六年法律第五四号による改正前の所得税法二三八条一項に、裁判時においては、刑法六〇条(被告人澄江については更に同法六五条一項)、右改正後の所得税法二三八条一項に該当するが、右は犯罪後の法令により刑の変更があったときにあたるから、刑法六条、一〇条により、いずれについても軽い行為時法の刑によることとし、被告人瞭につき、いずれも所定の懲役刑と罰金刑とを併科し、かつ、各罪につき情状により所得税法二三八条二項を適用することとし、以上は、刑法四五条前段の併合罪であるから、懲役刑については同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、罰金刑については同法四八条二項により各罪の罰金額を合算し、その刑期及び金額の範囲内で同被告人を懲役一年及び罰金一八〇〇万円に処し、同法一八条により右罰金を完納することができないときは金五万円を一日に換算した期間同被告人を労役場に留置することとし、被告人澄江につき、いずれも所定刑中懲役刑を選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により犯情の重い判示第一の罪の刑に法定の加重をし、その刑期の範囲内で同被告人を懲役一年に処し、情状により同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から、被告人瞭に対し三年間その懲役刑の執行を、被告人澄江に対し三年間その刑の執行をそれぞれ猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項本文、一八二条により、全部これを被告人両名に連帯して負担させることとする。

(量刑の事情)

本件は、判示のとおり、都内等四か所に診療所を設けるなどして歯科医業を営む歯科医師の被告人瞭と妻の被告人澄江が、共謀のうえ、被告人瞭の所得につき二年分にわたり、合計九八〇〇万円余を秘匿し、合計六四〇〇万円余の所得税を免れたという事案であり、その所得秘匿率は約六〇パーセント、税逋脱率は約七九パーセントに及んでいる。被告人澄江は本件各犯行の実行行為者であり、同被告人は、昭和四八年ころから脱税を行ってきたものであって、昭和五一年には、世田谷税務署の税務調査を受け、昭和四八年ないし同五〇年分につき、所得において合計約一九〇〇万円の修正申告をしたにもかかわらず、なお、本件各犯行に及んだものであって、関与税理士の指導に問題があったとはいえ、こうした事情も軽視することのできないところである。被告人澄江は本件各犯行の動機として、計算上手許に残るべき現金が残っていなかったため、不足分だけ収入から除外した旨供述するが、前示認定にもあるような支出状況等にかんがみると、被告人らは脱税を既定のこととして、多額の支出をしていたことすら認められるのであり、また、現金不足などは、日頃から正確に金銭の管理をしておれば防ぐことのできたところであって、動機において格別斟酌すべきような事情は見出せない。犯行の手段・方法も、患者に対して発行した領収証の金額を控えておき、収入除外にあたってはこれを下回らないよう注意するなど巧妙である。他方、被告人瞭は、当公判廷において、自己の刑責を強く否定し、本件犯行は、妻の被告人澄江が勝手にしたものである旨述べているが、これが理由のないものであることは前示のとおりであり、そもそも、四か所の診療所を経営しながら、専従の経理事務員を置かず、妻の被告人澄江に経理をまかせてきたこと自体被告人瞭の納税意識の希薄さを示すものであって、看過できない。以上の諸事情を考慮すると、被告人らの本件刑事責任は決して軽いとはいえないのである。

しかし、現在では、被告人澄江も自己の行為を反省しており、被告人瞭においても二度とかかる不祥事を起こさない旨述べ、専従の経理事務員を置くほか、公認会計士の指導を受けていることが認められ、また、修正申告に伴う諸税もその大部分が納付され、残余の納付も期待できるので、被告人ら両名にこれまでなんらの前科前歴のないこと等有利な事情を考慮して、主文掲記の刑を量定した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 小瀬保郎 裁判官 原田敏章 裁判官 原田卓)

別紙(一)

修正損益計算書

自 昭和53年1月1日

至 昭和53年12月31日

武藤瞭外1名

<省略>

別紙(二)

修正損益計算書

自 昭和54年1月1日

至 昭和54年12月31日

武藤瞭外1名

<省略>

別紙(三)

税額計算書

武藤瞭外1名

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例